JR北海道バス深名線で幌加内へ「鉄道旅ブログ」
朝
おはようございます。
時刻は朝6時(多分)。かなり早めのスタート。今日はどうしても乗り継ぎの都合上早めに出ざるをえない。まあ鉄オタの朝はこんなもんか。
さっさと支度を済ませて二人でチェックアウト。
何気にこの宿ではコーヒーの無料サービスがある。眠気覚ましとしてありがたくいただくことに。熱々なので二人してコーヒーの入ったコップを片手に街中を早歩きするという、中々変わった光景?を繰り広げていた。
自分たちが駅に着くと同時に、制服姿の高校生が次々と自動改札を通り抜けていった。時刻表を見てみると、石北線の上川からやってきた列車に乗っていた学生のようだ。
ここからさらに富良野線からの通学客も加わって、一時の賑わいを見せた。
まず乗るのは7時18分発のカムイ8号札幌行き。この列車に乗る。車両は789系の1000番台だ。
たいした影響はなかったが放送によるとこの車両、4号車のドアが故障して開かない模様。ほかの鉄道会社だったら車両交換をしそうだが、ぎりぎりの車両数で回しているJR北海道では、この程度ではへこたれない。
列車は定刻通りに発車。ここで札幌と稚内と秘境駅巡りで同行してくれたsyunとはお別れ。ここからは一人旅だ。
旭川駅を出ると市街地区間では高架を走ったのちに、すぐに地平を走る。列車はぐんぐんとスピードを上げていった。やはり天下の函館線ということもあってか揺れも少なく、安定した走りを見せてくれる。
揺れも大きいわけではないが、少しだけ感じる。それが気持ちいい。通勤電車に乗っている時は列車が揺れると、他の客に押されたり戻されたりで気分は最悪だが、旅に出るときは列車が程よく揺れてる方が旅に出ている感じに慣れて気分がいい。
乗車して15分で列車を降りる。着いたのは3日前にちょっとだけふれた深川駅。
旭川では発車時間が迫っていたので見ることができなかったが、ちゃんと故障箇所には張り紙がしてあった。せっかくだからもうちょっとちゃんと撮っておけばよかった。
カムイ8号が発車した後にやってきた特急ライラック1号。この列車が札幌からやってくる最初の特急だ。この列車に乗れば、旭川では宗谷線の比布行きと富良野線の美瑛行きに接続する。ただ、比布以北と石北線に行く際は後にでるオホーツク・宗谷まで待たなくてはならない。
JR北海道バス深名線の生い立ち
この駅にはかつて函館線・留萌線以外にもう一つの路線が通っていた。それが深名線だ。この路線は深川から宗谷線の名寄を結んでいた。木材輸送や、朱鞠内湖への観光輸送として活躍していたが、北海道のローカル線おなじみの産業衰退→過疎化の流れで、特定地方交通線に指定されてしまう。しかし、道路整備が未発達という理由で、指定から外され、JR化後も走っていた。が1994年に廃止されてしまった。
バス旅の始まり
そしてその深名線はJR北海道バスに移管され、JR北海道バス深名線として走っている。今日はこのバスの旅がメインだ。
改札を出て出口を出てしばらく待つと、乗車予定のバスがやってきた。
先述した通りJR北海道バス運行なので、今回使用しているwe love 北海道6日間周遊パスや、北海道フリーパスで乗れる。
乗客は数人程だ。それも自分と同じようなもの好きだろう。しかし、そうなるのも無理はないかもしれない。なぜならこのバスは深川駅を出ると、次に停車するのは多度志。深川の街を一気にすっとばし行く快速バスである。深川市内の主要施設に停まる各駅停車の便も存在はしているが、11時まで待たなくてはならない。
深川市内をすっ飛ばすと当然のごとく、沿線には植物が広がる。この茶色い植物は蕎麦だ。このバスが走る幌加内町は蕎麦の生産高が日本一なのである。その関係もあってかこの深川~幌加内のおおよそ半分の区間で蕎麦畑を眺めることができる。
少しだけ疲れが残っていたこともあって、半分くらいは寝ていたかもしれない。目覚めてから少し経つと、バスは幌加内町の市街地に入った。北海道の田舎を走っていると、突然住宅が増え始め、街に入ったことに気づく。
終点の幌加内に到着。結局乗客は全体を通して、片手で数えられる程度であった。
ここでは10分ほどの小休憩。時刻表上ではバスは幌加内までで、そこから先に行くには乗り換えが必要に感じるが、実際は同じ車両が行き先変更したうえで、深川から名寄まで通し運転をする。調べてみると鉄道時代は幌加内ではなく、この先の朱鞠内という場所で、列車の運行系統が分断されていた模様。途中地点で運行系統を分断するのは、鉄道時代の名残なのか?
乗り換えアプリで検索してみると、幌加内を境に運賃計算が分割されている。ただこれはあくまでもアプリの仕様で、実際に幌加内を通過利用する場合は、バスの運転士から乗り継ぎ券を発行してもらうことで通し運賃での利用ができる。ますます系統を分断している理由が分からなくなった。
休憩が終わったバスは、幌加内を発車。車内アナウンスも深川駅を発車した時と同じ、JR北海道バスの利用に対して感謝する所が始まったので、系統が分割された事は事実らしい。ただ、運転手さんも同じなので正直、別系統に乗っている感じはしない。
ルオント前、ここが最初の目的地だ。ルオントって北海道でよくあるアイヌ語由来の地名か?と思ったが、これはバス停の近くにある、政和温泉ルオントという施設の名前からきている。
ここから10分ほど来た道を戻るようにして歩く。車の通りはそこまで多くないが、それでもたまに乗用車やダンプカーがやってくる。歩道スペースは狭く、途中にある橋の所ではスペースが確保されているか怪しいくらいの幅しかないので、十分周りに気を付けてほしい。雪が積もっているときはなおさらだ。
北海道の道を歩いていると至る所に現れるこの矢印、これが何が分かるだろうか?これは矢羽根というもので北海道ならではの物だ。
冬になると北海道ではかなりの雪が積もる。そうなるとこのようなガードレールの無い道だと、どこまでが車道でどこからが歩道なのか区別がつかなくなり事故が起きてしまうかもしれない。こんなことが起こらないようにこの矢印が歩道と車道の境界を指して、冬の道路の安全を築いているのだ。
ルオント前で降りた理由は、この鉄橋を見るためだ。この鉄橋は第三雨滝川橋梁。これはかつて走っていた深名線で実際に使われていた橋梁だ。知らない人や廃線跡に興味がない人にとっては「ふーーん...。」程度に思われるかもしれないが、この橋梁は造るにあたって経済性と効率がとてもよかったらしく、それを後世に残す目的で2009年に選奨土木遺産に指定されたのだ。俺はこれを聞いて「ふーーん」と思った。
こんな感じで橋梁が残されている所は結構ありそうだが、こいつはバス停から歩いて10分の所にある。アクセスはかなり良い部類だ。(なおバス停”まで”のアクセスは微妙だが
少し歩いたところでも撮影。こうしてみると今にも深名線の列車がやってきそうな雰囲気はしている。廃止から25年以上たってもこんな風に感じ取れるのは橋梁がしっかりと整備がされているからだろう。
線路が敷いてあったであろう場所からも撮影。列車が走っていた頃ではありえない構図だ。ちなみに橋梁へは当たり前だが立ち入り禁止だ。
道路から木々と同和している姿を撮るのも面白いが、川に入って下からのアングルで撮影するのも、この橋の撮影における一つ醍醐味だ。ご丁寧に案内もある。これは行ってみなきゃ損だ。
と思って少し下ってみたが、川の色がよくない。あと、音が大きい。普通だったら透明な水が穏やかに流れているはずだが、今は茶色の水が勢いよく流れている。昨日秘境駅をめぐっていた時宗谷線の南の方で少し雨が降っていたが、おそらくその影響だろうか?残念ではあるが、さすがにそんな中突っ込んでバカの川流れになったらシャレにならないので撤収。
バス停に戻ったのち少し待つと、幌加内(深川方面)行きのバスがやってきた。これで来た道を少し戻る。
画像使いまわしだが気にすんな。
幌加内バスターミナルに到着。最初の予定ではここで降りて、昼ご飯を食べた後にまた名寄行きのバスに乗って名寄に行く予定だったが、ここで運転手さんに話しかけられた。
自分が深名線の跡地を巡りにやってきた鉄オタであること、この後は幌加内で蕎麦を食べて名寄に抜ける事を話すと、運転手さんが下幌加内に沼牛駅が教えてくれた。さらに滞在時間は短くなるが、折り返しで幌加内に向かうバスもやってくるので幌加内で蕎麦を食べる時間もあるそう。
というわけで引き続き、深川へ行き先を変えたバスに乗車。
乗車して10分ほどで、下幌加内に到着。散策時間が短いがゆえに少しでも遅れたら致命的だが、道路も空いてて乗客の乗り降りが無かったこともあって定刻通りに到着。地域の将来を考えると不安しかない状況だが、まあ鉄オタ的にはヨシ!
運転手さんにフリーきっぷを見せ、お礼を言って小走りで沼牛駅へ向かう。
これが沼牛駅だ。古びた木造の造りが魅力だ。この駅舎の形はほぼ当時と変わらないらしいが、改修する際に道東を走っていた北海道ちほく高原鉄道の上利別駅という駅の部材を再利用している、共食いドーピングタイプ駅舎だ。廃止になった駅の材料で他の駅を改修するという手法は、北海道では何件かで確認できる。
駅舎の中はぱっと見整備されて入れそうだったが、鍵がかかっていて入れなかった。
ホームはあるものの線路はとっくの昔に撤去されてしまっている。駅の周りには蕎麦畑が広がっているが、かつて沼牛駅は交換可能駅であったためその場所にはもう一つのホームと側線があった。
最低限の撮影を済ませて、再び下幌加内のバス停に戻る。バス停に向かっている途中でバスが来てしまい、少し焦ったがなんとか間に合った。
さっきまで乗ってきたバスは、路線バスタイプだったが今回は観光バスタイプだ。素人目には高速バスタイプと同じような見た目をしているがWikipediaを見て確認してみたら、高速バスタイプとは別物のようだ。余剰車両の有効活用として運用しているのだろうか?
車内はクロスシートがずらりと並んでいる。長距離利用が多いこの路線ではうってつけの車両かもしれない。
幌加内を歩く
さて、三回目の幌加内バスターミナル。建物の外観は初めて見るが、何となく西洋風ともとれるし、ただ学校の校舎に似ているともとれる。
大通りを歩いてみると、人の通りも車の通りもそんなに多くはない。道の真ん中でじっくりと写真を撮れるくらいには車の通りはない。
この写真に写っている、幌加内町のメインロードである国道275号線は札幌の中央区から新十津川・幌加内・音威子府を通って道北の町浜頓別に至る道で、札幌と道北を結ぶ重要なルートだ。時折ダンプと乗用車は通るが、幌加内町の住民の車が走っている所はあまり見なかった。
腹が減った...(唐突)お昼に食べるのは蕎麦だ。何を隠そうこの幌加内町はそばの生産量が日本一。そんなに蕎麦の生産量が多いという事は、さぞ昔からたくさん作っているのだろうと思ったが、調べてみると生産が本格化したのは、1970年の減反政策が行われたのが発端のようだ。以外にも本格化してから50年くらいしか経ってない。ちなみに減反政策とは
国「お前ら米作りすぎだから、生産量の上限儲けるわ。協力したら補助金出す。」
農家「おかのした(分かった)」
細かい経緯などは省略するが要はこんな感じ。そして、余った土地を利用して幌加内町の農家は蕎麦を作り始めたのである。
さっき沼牛駅の事を教えてくれた運転士がおすすめのそば屋として紹介してくれた八右ヱ門へ向かうことに。すると途中工事をしている場所があったので回り道しようとすると...
工事のおっちゃん「あんたもしかして、八右ヱ門に行くのかい?」
と話しかけられた。おそらく観光客みたいなナリで歩いているから、そば目当てだと気づいたのだろう。
ただ話を聞くと八右ヱ門はどうやら定休日の模様。とりあえずおっちゃんにお礼を言って再び大通りに戻った。
こうして再び店を探す事になった。とりあえずグーグルマップや食べログを見ながら街をふらふらしていたわけだが、歩いているうちにあることに気づいた。
それがこの表示だ。最初に見たのが八右ヱ門の店に掲げてあるものだったので、これは八右ヱ門が勝手に付けているものなんだと認識していたが、よく見てみると街の主要な施設や飲食店のほとんどに同じような表示が掲げられている。
この幌加内という地は日本一雪が積もる地なのだ。このブログを書いている2021年時点で幌加内は168㎝で第二位となっているが、一位は朱鞠内の174cmと幌加内町が積雪量のトップ2を担っている。いかに幌加内町が豪雪地帯で、いかに2018年の積雪量ががやばかったかがよく分かった。
さて、そんなこんなで街をふらふらしていると、バスセンターの近くでよさげな店を発見した。というわけで今回はこのあじよし食堂でお昼を食べる事に。伊達に食堂を名乗っているわけではなく、様々なメニューがある。
まあ結局頼むのはそばなんだけど。
この食堂は地元の方もたくさん利用する大衆食堂といった感じで、閑散としていた街とは対照的ににぎやかであった。
このそばも安くてその割に味良し、量良しで幌加内のそばを食べたい人にはおすすめだ。
まず行ったのはバスターミナルから歩いて少しかかる場所にある幌加内駅跡。現在のJR北海道バスの幌加内バスターミナルは街の中心にあるが、かつて使われていた幌加内駅は中心地から少し外れたところにある。
ここにやってきた感想だが、とにかく寂しい。申し訳程度に10m程の線路と石と駅名標がある程度だ。廃止された当時、幌加内駅舎は地域の集会所やバスの待合室として使われ、地域に根付いた利用がなされていたようだが、2000年に火災で焼失してしまったため、当時の面影を残すのは駅名標くらいしかない。
駅名標は国鉄時代の古臭いものか...と思ったらおもいっきりJR仕様。1987年に国鉄分割民営化、94年に深名線廃線なので、これは7年ほどしか使われなかった駅名標だ。
思ったより寂しかった幌加内駅跡を見たあとは、再びバスターミナルへ戻る。
田舎あるある?廃業したガソリンスタンド跡。
これはお昼を食べたあじよし食堂の近くにある、まるよしフードセンター。壁には鉄道時代の深名線と沿線の見どころが描かれている。グーグルマップでここを見てみると既に閉業している模様。もしかしたらテナントが見つからず取り壊される可能性もあるので、みたい人はなるべく早く行くことをお勧めする。
ターミナルに戻ってきた。
しかし、バスの時間まで20分程余っていたのでもう一つ深名線関連のスポットに行ってみる事に。
それはバスターミナルの2階にある、JR深名線資料館だ。
さっきの幌加内駅跡はやむをえない事情があるとはいえ、残念な感じは否めなかったが、こっちは狭いながらも充実した展示となっている。
中には深名線の歴史を綴った年表、深名線が現役の時代に使われていたタブレットや制服、駅名標、さらには駅単位での年表などなど...深名線を知るには十分だ。
これらがかつて使われていた備品
これが駅ごとの年表。ここには少ししか写っていないがちゃんと全駅分ある。もしかするとWikipediaに載っていない貴重な情報もあるかも?
さらば幌加内
さて、ここからまたバスに乗車する。13時07分発の名寄行きのバスに乗って、終点の名寄まで向かう。車両はまたもや高速バスタイプ。何気に幌加内から名寄までは2時間かかるので、これはうれしい。
いつも通りの何もない景色が見える道をしばらく走っていくと、バスは朱鞠内というバス停に到着。先ほど紹介した幌加内の中心地を凌ぐ降雪量を誇る場所だ。
ただそれ以外に、これといった情報は見つからず、人口が100人を切っている過疎化の著しい土地という事くらいしか分からない場所だ。
朱鞠内のバス停は、朱鞠内駅の跡地にある。ここも駅舎がバスの待合所として活用されていた時代があったが、幌加内駅が焼失したのとほぼ同時期に解体され、跡地は朱鞠内コミュニティー公園となっている。そして、そこには申し訳程度の線路と駅名標が置いてある。
これが幌加内町式駅跡整備だ(多分)
朱鞠内を過ぎしばらく走ると湖畔という場所に着く。名前の由来は、かつて走っていたJR深名線の駅名が湖畔だったから。そして、深名線の駅名が湖畔になった理由は、朱鞠内湖の湖畔にあるからというかなり適当なネーミング。この辺りは今となっては朱鞠内湖くらいしかないが、大昔はここが朱鞠内の中心地であったらしい。が深名線の朱鞠内駅がさっきの場所に出来たため、中心地の座を奪われた悲しい場所だ。そのため国鉄時代の湖畔駅は、仮乗降場という、格下の位置づけであった。ちなみに現在は、夏の観光シーズンのみバスが停車する、臨時乗降場みたいな扱いになっている。
このように扱いは微妙だが、寄ってみる価値はあると思う。この朱鞠内湖は日本一の人造湖。貸ボートで湖を漂うこともできるし、遊覧船もある。冬には湖が凍って、そこでワカサギ釣りも楽しむことができる、幌加内町屈指の観光地だ。みんなも是非行ってみよう。俺は降りなかったけど。
そこからバスはしばらく朱鞠内湖沿いを走っていく。この辺りから高度が上がっていき、よりいっそう幌加内町の緑を遠くまで見渡すことができる。
朱鞠内湖を離れて、次に着く集落が母子里。母子里に着くとバスは直角に曲がって、国道275号線から道道688号線に移る。ここでバスは東にある名寄へ進路を変える。
こうして道をずっと走っていると、街に入った。ここが名寄の街だ。バスの放送が終点の名寄駅前にもうすぐ着くことを知らせる。
終着の名寄駅前に到着。幌加内から2時間くらいかかったが、快適な旅だった。沿線には蕎麦畑やちょっとした集落、そしてなんか高い所といった風にTHE田舎の風景を楽しむことができる。ただし、乗客は全体を通してほとんどおらず、この先どうなることやら...。実際に1998年に比べて利用者数は4分の1に減っており、収入額1500万円に対し、支出が1億2300万円という状態。この先の動向が見逃せない。
旭川へ
この後は列車までしばらく時間があるので駅の待合室で、ダラダラ待つことに。知らないローカル番組を見て時間つぶし。ホテルには最低限の時間しか滞在しないから機会はあまりないが、こういったローカル番組を見るのも旅の醍醐味だ。
だらだらと待合所で過ごしていると放送が流れた
「15時50分発、特急サロベツ4号の改札を行います。」
これを聞いてだらだらとホームへ向かう。
どうせ大して人はいないだろうと高をくくっていたら、自由席の待ち列にはそこそこの人が並んでいた。これはちょっとした誤算だ。
車内に入ってみると、これまたかなりの混雑だ。座席は窓側も通路側もほぼすべて埋まっている。
なんとか席を確保できたが、それも通路側。宗谷線特急の意外な需要を知った。
名寄~旭川は宗谷線の中では本数の多い区間。利用客もそれなりにいる区間だが、それは名寄・士別・剣淵・和寒・比布といったの比較的大きな町や集落が近接しているからだと思われる。だが町と町の間にある駅はというと利用客はほぼ0に近い駅が多い。宗谷線で2021年に廃止になる駅の約半分はこの区間にある。
終着旭川に到着。途中の塩狩駅前後は細かくカーブが続いているが、それ以外は直線がほとんどで気動車特急の力強い走りを堪能することができた。
回送列車となったサロベツを後にし、駅を少しだけふらふらすることに。
これは上川・北見方面に向かう特急大雪。この時は真ん中にダブルデッカーを組み込んだ4両編成。北見は道東の中では大きな都市であるし、網走も観光地として有名なのでビジネス・観光の利用が望めそうだが、各車両には乗客が数人いる程度。さっきのサロベツとはえらい違いだ。
大雪を見送った後は駅の外へ出てみた。
旭川駅の北口はしっかりと繁華街が広がっており、賑わいもあるが、南側は目の前に忠別川という幅の広い川が流れているため、そもそも建物を建てるスペースがない。そのため南口の目の前は写真のように、公園みたいな場所が広がっている。
切り取りかたによっては田舎の大学のキャンパスだ。
宿へ向かう
17時30分発のライラック38号札幌行き。こいつに乗る。
この時間帯では安定して30分間隔で特急が走っている。
発車すると車内放送が流れ、高架をしばらく走るって...朝と全く同じ光景じゃね?
そして朝と同じように深川で降りる。
ここからまたJR北海道バス...ではなく跨線橋を上って6番線へ移動する。他のホームは長大編成にも対応できるような長いホームを有しているが、6番線は2~3両編成がせいぜいのホームしかなく、端っこにあるという地理的な場面も含めて窓際族感が強い。
この日最後は留萌本線。普通列車留萌行きで終点の留萌まで向かう。車内は高校生でいっぱいだった。おそらく部活帰りだろう。
活気のある列車は定刻通りに深川駅を発車。最初は立ちで行くんだろうと思ったが奇跡的に開いている所を見つけ座ることに成功。
道中は向かい側に座っているおじさんと話をしていた。自転車であちこち巡っていた学生時代の話や国鉄時代の話など自分が知らない話をたくさんしてくれた。
途中の石狩沼田では乗っていた学生の大半が降りて行ってしまった。この先も駅はいくつも存在するが、しっかりとした街は石狩沼田を過ぎると留萌まで無い。
学生が降りた後の車内は閑散としていた。そりゃそうか(納得)。
と静かになった列車は留萌に向けて原野をひた走る。そんな中向かいのおじさんが
「もしよかったら留萌の宿を取ってくれないか?」
と今までの旅で聞いたことのないようなお願いをされた。
聞いてみるとおじさんはガラケーしか持っていない模様。確かにガラケーじゃホテルのサイトやじゃらんへのアクセスは難しいだろう。
今までどうやって旅をしてきたんだ?という疑問が頭をよぎったが、それはおいておいて宿を探すことに。
と探したのはいいものの直前での予約、しかも夏の北海道という事もあってかどれもそこそこ値が張る。とりあえず駅から歩いて行ける最安の宿(自分が泊まる場所と同じ)を紹介したら
「そっかあ...じゃあいいか...ありがとう。」
と言われ、宿の話は無かったことに。
終着の留萌に到着。ここで、さっきまで一緒に話していたおじさんと別れた。おじさんはこの後どうするんだろう?と気になったりもしたが、あまり深入りするのはよしておくことに。
今日の宿は留萌駅から歩いて10分の所にある、ホテルニューホワイトハウス。駅からは少し離れているが、それなりに設備が整っている中では一番安い所なのだ。
中はまあ普通のビジネスホテルって感じだ。
荷物を置いた後は、特に目的があるわけではないがまた駅へ向かうことにした。
駅に着くとさっき乗っていたキハ150が、折り返し留萌行きの発車を待っていた。
発車直前に隣の2番ホームに列車がやってきた。深川を19時22分に出た4933D留萌行きの列車だ。たいていの列車は改札がある1番線に発着するが、この列車は数少ない2番線に到着する列車だ。
これ目あて...というわけではないが、二つのホームどっちにも車両が停まっている珍しいシーンを見ることができた。
20時20分、ほとんど空気輸送に近い列車は留萌駅を後にした。これで留萌駅を出る列車は全て終了した。一応21時10分に留萌に到着する列車はあるが、特に面白そうなことはなさそうなので退散。
留萌駅を後にして向かう先はホテルの近くのセイコーマート。ここで今日の夕飯を買うことに。
今回買ったのはセコマ名物のホットシェフのかつ丼とラスク、そしてRibbonのサイダーだ。ちょうどLINEでセコマのクーポンが配られていたので、少しだが安く買うことができた。
そして、なぜか付いてきたお茶。よくわからないけどセコマのキャンペーンでホットシェフ関連の商品を買うと無料でお茶を付けてくれるんだとか。あざっすセコマさん!!!
かつ丼はカツ全体が柔らかく、それでいて卵がちょうどいい感じにマッチしていてコンビニ飯とは思えないクオリティだった。それでいて量も十分でおやつとして買ったラスクが要らなかった。(後日食べた)
食べた後は風呂入って寝た。
https://www.youtube.com/channel/UC_Gvqu91xg_fov1gedF369g?app=desktop